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世界は考え方でどうにでもなる

アウトプットの練習場所です。大目に見てください

漫画「医龍 」の天才国立と凡人霧島の改革、伊集院の選択が人間としてあるべき姿勢ではないか

国立は才能を持っている天才だ。そして、霧島は才能がない人間だ。

 国立は、強くならねばならない、常に走り続けなければならないと考えている。20代で単身渡米しトップまで上り詰めた国立は、日本の大学病院でその姿勢を、競争原理を取り入れようとする。強制的に競争をさせるようにして、苦しんでいる患者のために、より多くの医者が救える技術を持てるように医療技術の底上げを図る。競争に負け、落ちこぼれた医者はその人自身が医者になるべきではなかったのだと切り捨てておしまい。そういう厳しい環境を作ろうとした。

 霧島は、弱くても良いじゃないかと、悩んだり、皆で傷をなめあって這いつくばって生きても良いじゃないかと言う。人間は本来弱い存在なんだからと。大多数の人間は大した才能もなく、何事も成せず人生を過ごす。それでいいじゃないか、何を無理に限界まで苦しい辛い思いをして生きなければならないのか。一部の天才だけ、頑張れる人だけ頑張って医療技術を高めてもらい、あとの人間は安定に安全にいこうと提案する。無駄にリスクをとることを回避し、医者も普通の人間としていることを求めている、と思う。

 互いにぶつかり合い発展を強要するものと、変化を恐れ現状維持しようとするもの。僕には、どちらの主張も、大きな流れが弱いものを飲み込もうとしているように見えた。

 そんな中、研修医の伊集院は、局外医でアウトサイダーの朝田の元を離れ、悩みながらも霧島に指導を願う。しかし、霧島の元で学びながらもこれでいいのかと不安や悩み、迷いはつきない。霧島の元では和を大事にしなければならない。手術中でもたとえ患者のためであっても相手の立場を考慮し、行動しなければならない。お互いに弱いもの同士なのだから、仲良くやっていこうという空気があると感じる。そんな雰囲気に伊集院は返って疲れてしまう。今まで自分のためだけにやってきたのに、相手のことも思いやって、というのは慣れていない。お互い何考えているか分からず、探り合うのも疲れるんだろう。伊集院自身も、人間関係に悩まされず技術の修得に集中できたら…とぼやいていたことがある。伊集院は朝田のチームで、難度の高い手術ばかりでストレスがかかり過ぎて、霧島の頑張らなくても良いじゃないかという姿勢に惹かれてしまった。しかし、霧島の元で学ぶうちに別のストレスがかかる。人間関係だ。霧島の回りの人間は、現状に満足してこれで良いと妥協してしまっている。技術の習得に熱心ではない。伊集院はその熱の差に違和感を覚える。そこで、伊集院は原点を振り返り、朝田のチームに戻る。

 

伊集院は霧島に最後に言う、「今の僕にとって、どこにいれば、患者のために全力で走れるかってことなんです。」

 

 そう、人はその時全力で走れる所にいるべきなんだ。医者であることを選択したなら、医者であるために、患者のためにそれぞれが自分の力を全力で尽くせる環境・尽くさなければならない環境にいるべきではないか。それを一人ひとり自分で考えて行動する。それは個人の技術の向上にもなるし、全体の質の向上にもなる。人の上に立つものは、誰がどこにいれば全力を尽くせるかを見極める目を持つ必要がある。そう思い通りにはいかないのが当たり前だろうけど。

 どこの誰であっても、成長したい、誰かの役に立ちたいと思っているなら、自分は誰のためならどこなら全力で走りたいと思うかということを、考えてみる必要があるんじゃないか。

 

僕自身、未だそういう情熱を傾けるものが分からないから本を読み、人に会い、旅に出て見つけようとしているわけだけど。

 

とりあえずは、今は内定もらった会社に情熱を向けたいと思っている。同期が、テキトーで良いや〜という人達であったとしても、自分のことだけを考える。