本田圭佑選手から学ぶ有言実行の本質
有言実行と言うか、世界に公表したことを達成してないとストレスが自分にかかるんだ。そして、自分でもそれを達成したいと思っているから、それは悪いストレスのかかり方ではない。また、それは自分の最も好きなことでもある。そして、想像するんだ。今のこの達成していない、周りから良くは思われてない状態から、達成したときの自分の誇らしさ、周囲の自分を見る目が変わる瞬間を。
そう、最後に達成さえすれば、それまでいかに酷く失敗し迷惑をかけても、全て達成のためのプロセスになる。あいつは失敗して終わった、ただの口だけ男だった、という結果にはならないんだ。だから何度でも挑戦するし(好きなことだから)、しなければならない(周囲からの「お前言ったからにはなんとかしろよ」というプレッシャーを感じるから(実際には周囲は思ってないかもしれないけど))。
最終的に、有言実行になる、ということなのかもしれない。
ここで大事なのは、その過程をずっと見て応援or指導してくれている人がいるかどうかだと僕は思っている。やはり人が一番真に力を発揮できるときは、誰かのためにするときじゃないだろうか。自分に元気を与えてくれた、指導して力をつけてくれた、プレッシャーをかけて危機感を与えてくれた人達に、その価値があったことを証明しないと、彼らに顔向けできない。自分が自分を恥ずかしく思う。それには耐えられない。それなら死んだ方がましだ。彼らは彼らの時間を自分に使ってくれている。自分は、その彼らの分まで活躍しないといけない。そう思えるんじゃないか。
そう考えたら、試合中でも、世界中の人が注目していることよりも、その彼らが自分を見て満足しているかどうかが気になると思う。そこには、大舞台で緊張して舞い上がってしまったなんて言い訳は許されない。自分が許さない。とにかく結果を出すんだという意識しか残されない。そこには焦りも緊張もない。彼らの信頼に応えたいと言う体の内側から突き動かされる気持ちのみだ。その彼ら以外誰がなんと言おうと、自分にとって大きな問題ではない。例えPKを外して日本中からため息が漏れようとも、信頼している人からの的確で前向きな言葉さえあればまた蹴る勇気が湧いてくる。その言葉を信じたことが、正しかったことを証明するためにも、蹴り続けなければいけないと感じるかもしれない。
まとめると、有言実行とは、自分の分野において、達成したいこと(夢)を公言することで(有言)、自分に良い負荷をかけ成長を否応無しに促し、達成すること(実行)。
以上を自分に活かすには、どうすれば良いだろうか。
まず、自分が人生をかけて、達成したい最も好きなことを見つけた方が良い。なぜなら、その方が苦しくてもより頑張れるからだ。僕は膝の靭帯が使い物にならないから、運動系はムリだ。頭を使う何かを探そう。
次に、達成したいこと(夢)を公言することだ。世の中に実現不可能なことはない。本当にやりたいことならタイムマシンだって作れるだろう。夢を考えよう。根拠はないが、これはすぐ見つかりそうな気がする。そして、公言だが、これはフェイスブックか、または現実世界の最も人が多い場で言うべきだろう。聞く人が多ければ多いほど効果は増大するのだから。
最後に実行の過程だが、負荷のかけ方が重要だと思う。自分に足りないものを知り、どのように足りないものを埋めて伸ばすか。ここには先人の知恵がいるのではないか。「自分には達成したいものがあるんですが、何をどうすれば良いか」というのを聞いてしまえば良い。何でも自分の頭で解決しようとするのは良くない。様々なものを取り入れ、自分にとって最も効率のいい方法を探れば良い。
個人的な意見だけど、先輩の同業者に見てもらうのはあまりよくないと思う。先輩も戦っているわけで、競争相手だ。自らの秘密の特訓というようなものを教えてはくれないと思う。また次第に自分が成長していったとき、最後までいざというとき応援・指導してくれる余裕や力があるかは不安だ。だから、応援してくれる人は全く別の分野の人、指導はすでに引退した人、プレッシャーをかけてくれる人は有言したことに共感したファンというふうに僕は分けたい。
あとは、発表の場で成長を彼らに見てもらい、自分の成長を感じ、足りない所を修正するということを繰り返せばいいのだろう。そのあとは達成するか、致命的な何かで社会的に死ぬかのどちらかだろう。