世界は考え方でどうにでもなる

社内SEからジョブチェンジし、コンサルタント見習いです。「人間を科学する」ことに興味があります。

子どもを産むことと遺伝についてどのように考えるべきか行動すべきかの模索

こんにちは。

ブログを書くときはだいたい悩んでいる時が多い。

 

いま問題を抱えている。

 いつもは、問題を抱えていればどのようにすべきか自分で見つけられたのだけど、

今回はどのような方針で進むべきか決めかねている状態、そしてなんか理解できない部分がありモヤモヤしている。ただ、これは相手に吐き出しても仕方のないようなことにも思え、Twitterにもつぶやけずここに吐露する。

 

 事の発端は、ずっと想いを寄せていた人へプロポーズし婚約したところから始まる。

最初は順調で月並みに結婚式場見学など進めていた。

問題となったのは、親族に障害を持つ人がいることを婚約者が知った時だ。知ったことで障害を持った子どもを産んでしまうことが恐ろしくなり、子どもを持つことが怖くなった(子を愛せる自信がない、もしそうなったら一生後悔する)とのこと。そして子どもを持たないとするなら結婚自体も見直したいという。僕は親族に障害者がいることは知っていたが遺伝する可能性は障害者を持たない家系と変わらないという理解していたため、その情報を特に重要だと思っていなかった。(正確にかつあからさまにならないよう表現することは困難だが、障害を発現させる遺伝子は誰でも持っている可能性があり、両親の遺伝子の組み合わせによって子に遺伝するバグみたいなもの)

 その後も自分でより詳しく調べたが、やはり気にしてもしょうがないような事実だと思う。しかし、婚約者にとって、子を産むということが、想像もできない苦労や一つの命を誕生させる責任というのがあるのだろう。僕がそれを認識できていないことが問題の一つかもしれない。

 子どもを産むというのは、それほどまでに気にすることなのだろうか(こんなことを書くと叩かれそうだ)。いや、気にするものなのだろう。ただし、僕は家族愛というものをいまいち感じたことがない。親子のつながりというか、親から愛されていると感じたことはない。親が自分の子は目に入れても痛くないくらい溺愛するものという話を聞いたことがあるが、全く理解できない。産まれたらそう感じるものなのか。結局は自分の子供といえど他人なのだから、成人するまでは保護者として育てる責任があるが、それ以上はその子ども自身で自分の人生に責任を持って生きて欲しい。また、未成年であっても自分の人生なので自分で考えていって欲しいと思っている。もちろん、何をするにしても未成年のうちは保護者の許可は必要だ。子どもに対しどういうスタンス、距離感でいるかについては、パートナーと親になる前に話し合っておくべきかもしれない。

 ただ、何だろう、もし他の人より苦労するような人生を歩ませることになってしまったら、僕はその子を産ませたことに後悔するだろうか。しなくて良い苦労は避けるに越したことはないが、産む前にそんなこと誰が分かるだろうか。みんな可能性があると知りつつ、でも子どもが欲しいと思い産んだのではないだろうか。

 その可能性がどの程度なのか、確認できることがあるならできる限り知る責任があるとは思う。

 一つの命を誕生させるということは大変重いことなのだ。軽々しく捉えるべきではないし、あらゆることを考えなければならない。しかし、どれくらい重いことなのだろうか。

 生殺を同等か。それならば、誰かを殺すことを考えるのと同レベルなので、なるほどそれはとてもじゃないが正気じゃいられないような気がする。

 あまりにも無知すぎるので、そもそも子どもを産むことや遺伝についてどう考えるべきか、専門家に相談したいと思った。自分じゃとてもじゃないが分からないことが多すぎて判断ができそうにないし、時間がかかりすぎる。遺伝カウンセリングなどあるようなので、婚約者とも相談し行ってみたいと思う。また、世の中には遺伝子検査もあるようなので、実施すべきかも含めて相談かな。

 その前にまずは、自分で確認できることとして、親族に知っていることがないか聞くことと思うので、今度聞きに行ってくることとする。

 

 この問題のおかげで、婚約者ともギクシャクしてしまっていてよくない状態なので、一旦自分の考えていることを打ち合け、今後の行動を相談したい。

うまくいけばいいと思う。

 

それでは